女子医大生☺︎ あんにんずぶろぐ

22歳の女子医大生です(*˘︶˘*)

〜自己紹介😆(医学部に合格するまでー⑤)〜

おはようございます☀!

今日は、自己紹介の続きを書きたいと思います😋

 

医学部受験では、全国どこでもいいから少しでも受かる可能性の高い大学を受験したいと考える人や、家から通える大学がいいと考える人、何がなんでもこの大学にいくと決めている人など、様々でした。 ( ᐛ)

 

私は、とにかく医者になれるなら全国の大学どこでもいいと考えていたので、センター後、北海道〜沖縄まで全ての大学における合格率を検索しました笑

 

といっても、医学部ではセンター試験で90%がボーダーラインと言われていたのに対し、私の結果は…

 

68%😇😇😇😇😇😇(°▽°)

 

当たり前ですが全ての大学でE判定でした。

 

 

そして、結果的に足切りのない鳥取大学を受験することに決めた私は、お通夜状態で赤本に取り組み始めました。笑

 

(余談ですが、センター試験で撃沈した私は、試験日の夜に泣きながら、録画していた「君の名は。」を観ました。笑

今でも、そこで使われていた曲を聞くと、母と「あの時は辛かったな〜」と笑いながら言いあっています。笑笑)

 

医学部では、面接が試験2日目に行われるため、試験前日から大学近くのホテルをとり、2泊3日するのが恒例でした。

 

今思い返すと、受験ではありましたが、母と2人、電車に乗り、現地の美味しい海鮮やスイーツなどを食べ、小旅行をしている気分で楽しかったです。笑笑(これは、今の医学部での友人も同じことを言ってます笑)

 

当時、電車には、私と同じような受験生が大量に乗っていて、緊張感の漂った空気がありました。笑

皆んな、参考書を持っており、親子2人で戦いに来たという感じでした。笑

 

私が受験した年の鳥取大学医学部医学科の倍率は、8倍程にまで上昇し、全国で1番高くなっていました。笑(足切りがないことも一因だったと思います)

これには流石に絶叫しましたが、一周回って笑えましたね。笑

 

 

今では時々、あの時一緒に受験していた人たちは皆んなどうしているのだろうと思います。定員が決まっている以上、どうしても夢を諦めざるを得ない人が大量に出ますよね。医学科に合格できなければ医師になれない以上、他の進路に変更することは、将来、異なる職業に就くことを意味します。毎年どれだけ多くの人が、夢を諦め涙を飲むことになっているのか、想像するだけで泣けてきます。ですが、その事を思うと、私は合格できたことに感謝して、日々努力し、立派な医師にならないとなと身が引き締まりまります!

 

 

続きはまた!( ᐛ)

ここまで読んで頂きありがとうございました😊♪